蟒蛇

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蟒蛇(うわばみ)

満月の夜だった。

誰もいない渓流沿いの林道を、真っ黒い原チャリに乗り上流に向かって走ってゆく。
こんな時間には山には人の気配はなく、むしろ獣が蠢いている。
走る林道は途中までちゃんと舗装された走りやすい道路だったが、道の途中で車両の侵入を拒む鉄柱で作られた柵が道を遮る。
だが柵の端は自転車や原チャリくらいなら通り抜けられる隙間が空いている。
その柵から先は本来は歩行者の通行だけを想定してか、道がダートになる。
原チャリが砂利で車輪を滑らせながら、緩やかな坂道を登る。

道を進むにつれて単車のエンジン音が、近づいてくる渓流の響きにのまれてゆく。

満月だというのに渓流には木々が生い茂り真っ暗で、単車のヘッドライトだけが砂利道を照らしていた。
単車には大きな軍用リュックを背負った若くみえる中年男が乗っていて、ヘッドライトが照らす砂利道を注意深く見ていた。
道には太い木の枝や頭くらいの石が転がり、時おり単車のカウルを傷つける。

男は満月が照らす川縁の大きな平たい岩の側で止まり、単車から降りた。
月明かりでキラキラと川面が光る。
満月に照らされながら、男は川縁の大きな平たい岩の上に軍用リュックを下ろして、少し伸びをした。
この場所は今日のような満月だと、ライトを持たなくても本が読めるほどに明るい。

男はリュックの中から縦長の黒い袋を取り出し、慌てたように忙(せわ)しいながらも手馴れた様子で中身を取り出し、そうして僅かな時間の間に小さなテントを組み立てた。

男はテントのなかに荷物を放り込み、相変わらず慌ただしい動きでリュックからテントの中を照らすライトを取りだしテントに引っ掛けて、中を照らす照明にした。

四つんばでテントに入る。
テントの入り口のチャックを半分ほど閉め、その入り口から顔を出して、自分が単車で上ってきた林道を何かを探すようにじっと見つめて、深夜の山の渓流に自分のライト以外の明かりがないことに満足したように、テントに顔を引っ込めて入り口のチャックを閉めた。


男は照明の下で、羽織ったジャンパーの内ポケットに手を入れて、そこから眼鏡ケースを取り出した。
『ふう...』
聞こえるような声でため息をつき、そっと眼鏡ケースを開いた。

ケースの中にはオレンジ色のキャップがついた十センチくらいの長さの細い注射器が二本と、切り口が斜めにカットされた細いストロー、そして小さなビニールのパケとよばれる小袋が入っていた。
パケには小指の先ほどの大きさと小さく割れたガラスのような物が入っている。

男はまず注射器を手にとり、押し引きする中棒をそっと引き抜き注射器本体と中棒を眼鏡ケースに戻し、今度は注意深く左手に持ったパケの口を開き、ストローを差しこんだ。
パケの中のガラスのような物を斜めにカットされたストローで掬い取り、それをそっと抜き取ると、先ほどの中棒を抜かれた注射器本体の後ろにストローを差し入れて、ストローからガラス片のようなものを注射器に入れる。
小さなオレンジ色の蓋のついた注射器を縦にすると、ガラス片は一センチ無いくらい入った。

右手で中棒を本体に差し入れて中身を詰めた。


男は左うでのジャンパーの袖を、肘の上まで捲りあげて左手をくの字に曲げて力んだ。
うでの静脈が浮き上がることを確認する...。

男は胡座から片足を立てた姿勢になり、くの字に曲げた左腕を方膝の上に置いた。
注射器の蓋をそっと外して、一センチくらいの針が見えた、針の太さは一ミリ程度と細い。
男は右手に注射器を持ち左腕の外側を走る静脈
の側の皮膚に針先を添えて、血管の上の皮膚に
針をゆっくりと斜めに刺す。

針が刺さった感触はあるものの痛みはない。
右手に持った注射器を片手で器用に扱い、中棒を軽く後ろに引く。
すると注射器の中に詰めたガラス片のようなものが針先から吸い上げられた鮮やかな血と混ざりあう。
一センチほど中棒を引くと、今度はゆっくりと棒を押し込む...。
男の全身の肌が少し粟立つように感じ震えるほどに注射器を触る指先に力が入る。
そしてまた中棒を引く。
三度それを繰り返したあと、男は注射器の中身をすべて腕の静脈に注ぎこんだ。

左腕の針を刺した血管から、脇の下を通って頭の芯にまで、生々しい刺激が流れてゆくのが分かる。
すこしだけ力みすぎた全身の力を抜くと、頭の芯まで流れた刺激が、今度は吐く息にあわせて頭から足の先にまで届いてゆく。
動悸が激しくなり呼吸が浅くなり、指先が微かに震えている。

刺さった皮膚から針を抜くとき、ゆっくりと溜めた息を吐きながら、くの字に曲げた腕の力を抜くと針を抜いた静脈から血は漏れない。
立てた片膝を崩して胡座をかく。

目がチカチカしながら、小刻みに震える手で眼鏡ケースの中に置いたオレンジ色の蓋で注射器に蓋をする。


初めてこの刺激に射ぬかれてから五年ほど過ぎたように思う。
全身に精気がみなぎるような妖気。
取り憑かれたように自らの体に針を突き立て続ける狂気など気にも止めなかった。
眼鏡ケースに入っていたパケのガラス片のようなものは覚醒剤の結晶だ。
男は覚醒剤がもたらす妖気に狂い、その自虐的な快楽は途切れることなく、惚け続けていた。

男は静脈に注いだ覚醒剤がもたらす発奮に高揚してニヤケながら、真冬の寒さで指先が凍えるのとは逆に額に汗を浮かべて落ち着きがない。
小刻みに震える手で、ジャンパーの外側のポケットから縦に長いタイプのタバコの箱を取りだし、その箱を開けるとタバコと一緒に黒い蓋のついた小さな試験管と金属のストローが入っていた。

男は注射をする前にしたように、テントの入り口を開き、先ほどと同じように自分が通った道を見て、誰もいないことを確かめる。
そして慌てながらテントに頭を引っ込めて入り口のチャックを下ろした。


タバコの箱から金属のストローを取りだしてそれを口に加えて、試験管の蓋を取り外して眼鏡ケースに置くと、眼鏡ケースの中に置いた小さなパケを指で挟み、小指の先ほどの大きさの覚醒剤の結晶を砕く。
そうして、さっき注射器に覚醒剤を入れる時に使った切り口が斜めになったストローを右手に、また左手でパケを持ち...パケの中にストローを差し込むと、砕いた覚醒剤をストローで掬い上げてタバコの箱に入っていた試験管のなかに小さなガラス片のような結晶を入れて、試験管の口が少し上を向くように眼鏡ケースに置く。

タバコを入れていたジャンパーのポケットからライターを取り出すと、一旦置いていた試験管を左手に、右手のライターで試験管の底の辺りを炙る。
熱せられた覚醒剤がガラスの試験管のなかで白い煙を出しながら溶け始める...。
口に加えた金属のストローを熱した試験管の中に差し入れると、試験管のなかに溜まった白い煙を勢いよく吸い込んだ。

真夜中のテントから何度となくライターを点火する音が聞こえる。
しばらくすると、男はテントの入り口を開けて中から頭を出した。
月明かりに照らされた男の表情は、さっきまでと違って目を大きく見開き、汗ばみながらキョロキョロと落ち着きがない。

またテントのなかに頭をひっこめて、タバコの箱にさっきまで口にくわえていたストローと試験管を収納し、眼鏡ケースのチャックを閉めてそれを取り出したジャンパーの内ポケットに戻した。
タバコの箱からタバコ一本取り出して、男はテントから出てきた。
満月に照らされた渓流の大きな岩の上に設置したテントのそばで男は立ち上がると、窮屈だった体を伸ばし、紫煙を燻らせる。
すぐそばを流れるゴウゴウとした渓流の流れる音が、さっきよりもより大きく聞こえる。

真冬で気温が低いのにも関わらず、身体中が汗にまみれて衣服からうっすらと湯気があがる。

テントの光に目が馴れたのか、満月だというのに辺りを眺めてもはっきりとは見えない。
男は這うような姿勢でもう一度テントに上半身だけ入るとテントの中にあるリュックサックに手を伸ばし、ガサガサと中からマグライトを取り出した。

覚醒剤の作用で過敏になった神経は周囲の微かな音にも大袈裟な素振りで反応する。

携帯電話で時間を確認すると、深夜の三時だった。
家を出たときは深夜の一時前で、自宅から今いる渓流まで単車で三十分といったところか...。
時間を逆算すると、単車を降りてから今までの間に一時間以上テントに籠っていたことになる。

いつでもそうなのだが、覚醒剤をしていると驚くほど早く時間が過ぎてゆく。
自分では三十分のつもりが、現実では一時間半ほど過ぎている。
自分と自分を取り巻く空間だけが現実とは異なる早さで時間が経つ。

自分の血で溶かした覚醒剤を注射で血管に注入して味わい、試験管の炙りで何度も白煙を吸い込んで興奮に震える。
これは儀式なのだ、男が自分の存在を自分で許す為の儀式。
覚醒剤が無ければ自分が自分では居られない。

毎日の食事の数よりも多く、この『儀式』を行っている。
むしろ...いや出来るならば、日常の些事になど関わらずこの儀式だけに生涯を費やしたいとさえ思う。

事実、自宅ではタバコを吸うよりも覚醒剤の白煙を吸う。

男は、朝目覚めの一発を注射器の針が血管に刺さるとき...、一緒にベッドで寝ている恋人に当然なことのように声をかけて自分への愛撫を求める。
時間をかけて静脈に欲情を注ぎながら、ゆっくりと深く味わうようにまぐわうのだ。

針を抜くと直ぐ様試験管を炙り、注射で高まった欲望を焚き付ける。
そうして恋人の肉体に発情して、まるで凌辱するかのような背徳の行為に夢中になる...。

覚醒剤がもたらす性欲が満たされた後、目覚めに襲いかかられた恋人に口づけ、また注射器に覚醒剤を詰めるとそれを持ち風呂へ行く。
身体中を滴(したた)る汗を洗い流したあと、湯槽に体を沈めて、さっきとは異なる静脈に針を突き立て、再び覚醒剤に狂う。

何度も何度も、疲弊し眠りに落ちるまで朝夕なく繰り返し...覚醒剤を求める。


初めは何かを楽しむ刺激の一つとして用いていた覚醒剤が、少しずつ男の理性を破壊していった。
愛して止まない天使に蹂躙されるような自虐的な快楽に縛られて、満たされることのない欲望
に自分が駆り立てられていると気づいたときには、素面で日常を過ごす理由も必要も消え失せ、偏った欲情と絶望を貪り続ける大喰らいの蟒蛇(うわばみ)だけが...ギラついた眼光で脂ぎっていた。


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